はじめまして、後藤勇太と申します。
代表を勤める株式会社Number9では、カンボジアのシェムリアップという町にある孤児院「JACE NGOs ACADEMY」を経営しています。ここでは常時20名ほどの子供たちが共同生活をしています。
なぜボクがカンボジアの孤児院を経営し、たくさんの子どもたちの「父親」になったのか、少しお話しさせてください。
Jリーガーを夢見る少年時代
1986年愛知県に生まれたボクは「Jリーガー」を夢見るサッカー少年でした。9歳の頃に両親が離婚、隣に住んでい笑顔が絶えないおばあちゃんに支えられ、サッカーに明け暮れる少年時代を過ごしていました。
学校の勉強は苦手でしたが、サッカーには夢中でした。Jリーグ名古屋グランパスの下部組織に所属していたのですが、15歳で本気でプロを目指す周りの仲間たちとレベルが違うことに気がつき始めます。「ボクはJリーガーになれない・・・」最初の挫折を経験しました。
17歳でプロギャンブラーに
勉強が苦手だったボクも、なんとか高校に進学。この頃の夢は「社長になること」でした。進学後はバイトに明け暮れましたが、バイト先の先輩たちの影響でギャンブルにハマることに。毎月のバイト代はスロットに消え、どうすれば勝てるようになるのかを真剣に考え始めました。
プロギャンブラーと呼ばれる人に頭を下げて教えてもらい、中古のスロットマシンを購入。研究に明け暮れる毎日を過ごし、中間管理職のサラリーマンの月収ほど稼げるように。高校生ながら、チームを作って大きく稼げるようになっていきました。
スラム街での衝撃的な出来事
プロギャンブラーとしての生活を22歳まで続けましたが、お金を持ち逃げされたり、トラブルも増え、これからの先の人生をどうするかを真剣に考えるように。人生を一度リセットしようとカナダへ語学留学に行きました。それからは「もっと世界中を知りたい「「旅したい」と思うようになり、いろんな国にバックパックで行くようになります。
そんな頃でした。ある先輩に投資話を持ちかけられることに。怪しげな投資話でしたが・・・ボクはスロットで稼いた貯金「全財産」を先輩に渡してしまいました。自分だけでなく、周りの友達にも投資することを勧めてしまいます。その後どうなったかは・・・お察しの通りです。先輩が音信不通になってしまいます。被害額数千万円・・・。周りの友だちは一斉に離れていきました。避難や督促のメール、電話に怯える毎日。精神的におかしくなり病院でカウンセリングを受けるようになってしまいます。
人生を振り返りながら「どう生きたいのか」と考えるようになりました。そこでふと思い浮かんだのが、フィリピンのスモーキーマウンテンというスラム街でした。以前テレビで見た時の記憶が強く残っていたこともあり、何か変わるかもしれないという思いで、現地に旅立つことにしたのです。そこで目にしたのは衝撃的な光景でした。
「スモーキーマウンテン」と検索してみると、ゴミの中で生活する人たちの様子がわかる写真がたくさん出てきます。興味ある方は検索してみてください。ボクはそんなスラム街へと足を踏み入れました。現地に降り立つことで、ゴミ拾いをしながら生活している人たちをこの目の当たりにすることになるのです。
ここでボクはその後の人生観が変わる、衝撃的な体験をしました。現地で親切にしてくれていた女の子が、ある日当然亡くなってしまったのです。ゴミ拾い中に出来た傷が原因で破傷風にかかってしまい、あっという間に天国に行ってしまったのです。「なぜ病院に行かなかったのか?」僕は疑問に思いましたが、その子の親はこう呟きました。
「ユウタはいいよね。日本人だから……」
日本に住むボクたちにとって、怪我をすれば病院で医療を受ける、これは当たり前です。しかし、海外に出るとこれが当たり前ではなくなってしまいます。お金がないから、戸籍がないから、という理由で医療を受けることもできないのです。
カンボジアの孤児院の子どもたちとの出会い
日本に帰国後、スモーキーマウンテンで経験したことを伝えようと、知り合いの伝手なども頼りに講演活動を行うようになりました。「もっと世界のことを知りたい」そんな思いが強くなる中、中友人に誘われてカンボジアに旅立つことになります。現地で知り合った日本人女性との出会いから、ボクはカンボジアの孤児院の子どもたちと知り合うことができました。
孤児院はカンボジアのンボジアのシェムリアップ市(Siem Reap)という人口約十四万人の都市の一角にあります。シェムリアップ市は、アンコールワット遺跡群など世界遺産に登録されている遺跡がある近郊の町で、普段は観光客も多く訪れる町です。
最初はボランティアという形での関わりでしたが、そこから現地オーナーとの共同経営者になり、後にボクはオナーとして孤児院の経営者になります。この時、孤児院には36人の子どもたちがいました。ボクは36人の子どもたちの「父親」になりました。
子どもたちの「自立」のために何ができるか
孤児院の経営を通して、僕たちが目指しているのは、孤児院の子どもたちが自立できるようになることです。18歳で退所するまでに、自分の力で生きていけるように、知識やスキルを身につけてもらうことを目指しています。
パソコンスキル、ハンドメイドアクサセリーの作成や販売、語学力の習得、退所後の子どもたちにはカンボジアだけでなく、世界で生きていくことができる力を身につけてほしいと願っています。
そのためには、まだまだやらなくてはならないことがたくさんあります。ボクが単独オーナーになった時は経営も逼迫していて、生活環境も不十分な状況でした。快適に寝る、食事をする、勉強に集中する、生活環境の改善を進めてきましたが、まだまだやるべきことは沢山あります。
僕が代表を務める会社株式会社Number9では、何をする、何を作る、何を売る、ということではなく「夢を叶える組織でありたい」と考えています。子どもたちが描く「夢」を事業として実現し、社会、地域に貢献し続けます。
最終的な理想のゴールは、ボクが孤児院の経営から離れることです。今はまだボクの活動、支援者様からの寄付によって経営が成り立っている状態ですが、孤児院の卒業たちが孤児院を運営できるようになる、これが理想のゴールとして目指しています。
そのためには、まだまだ生活環境を整えたり、仕組み作りを進めたりやるべきことはたくさんあります。夢、理想のゴールの実現のため、たくさんの子どもたちの「父親」としてボクたちは挑戦し続けます。